2006年11月22日

医療費抑制と防衛医療

こんにちは。

久しぶりに医師としてあきれ果てる和解勧告を見ました。

〜以下引用〜

脳腫瘍(しゅよう)が悪化して重い障害を負ったのは、病院が適切な検査をせずに病気の特定が遅れたからだとして、桑名市の20代の女性が05年8月に桑名市民病院を相手どって2千万円の損害賠償を求めて名古屋地裁に起こした訴訟で、病院は17日、女性に和解金300万円を支払うことで和解したと、発表した。同地裁の和解勧告に従った。



 病院によると、女性は02年の10月30日と11月2日に頭痛やめまいなどを訴えて来院。3日に水頭症や脳がんの疑いがあると診断され入院。5日のMRI検査で脳腫瘍が判明した。当時は歩行できたが、その後、悪化し、現在は植物状態という。

 訴訟で女性側は、最初の来院でMRI検査をして脳腫瘍を特定し、適切に治療すれば、治癒の可能性があったと主張。病院側は女性の病状は11月5日時点で改善の見込みがなく、6日前に脳腫瘍が判明しても結果は同じで、診断に問題はないと反論していた。

 名古屋地裁は、病院の診断に誤りはないとした上で、「早期のMRI検査で的確に診断していれば、その後の対応が変わった可能性があり、もう少し良い症状が期待できた可能性は否定できない」として今年8月に和解勧告していた。

〜引用終わり〜

はっきり言って、医学的には脳腫瘍の発見が1週間早くてもまず予後(医学的治療結果)はかわりません。こんな状況でもMRIを撮影しなかったことが「過失」と認定されるなら、頭痛の訴えのある人は全員当日MRI撮像しなければいけなくなります。

裁判所の要求する医療をまかり通らせたら、MRIは全国に1万台は必要ですし、医療費は年間100兆円でも足りません。

裁判官の常識知らずもここに極まった感があります。
少なくとも、多くの医局で「救急指定病院の当直を強制するなら医局を辞める。」と主張する中堅医師が続出しているようです。
どんな偉い大教授でも、世界一の名医でもこんな和解勧告の前では若手医師に救急医療を担うように説得はできないと思います。
マスコミの言う「医の倫理」や「医師の使命感」もすべて吹っ飛ばすほどの力があります。

あまり私の意見を入れないようにしてきたのですが、救急医療や産科の崩壊はもう不可避かもしれません。
訴訟リスクを低下させない限り、医療コストはどこまでも上昇し、金持ちしかまともな医療にかかれなくなるか、医療崩壊するか二つに一つと思われます。
posted by たけ先生 at 23:03| Comment(14) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
裁判所や患者の家族は、1週間で脳腫瘍が急激に進行したとでも考えたんでしょうかね?
このようなことが判例となってしまえば、日本の医療機関の経営は成り立たなくなるし、医師のなり手も急激に減ることになるでしょう。このことは、日本の医療レベルを低下させることになるでしょうね。
一時期は患者側に圧倒的に不利と言われた医療訴訟ですが、このような結果論が横行するようになっては、振り子のゆき過ぎもここに極まった感がありますね。
医療に限らず、最近の風潮として、事故の責任を企業や施設に負わせることが一般化してきていますが、ちょっと行き過ぎがあるように思います。数年後には裁判員制度が始まりますが、裁判員制度がこうした傾向に拍車をかけることにならないか、少し心配な気がします。
Posted by dell at 2006年11月23日 10:00
全く同感です。
すでにハイリスクな病院から医師が「逃散」しはじめています。
ここで問題なのは、産婦人科など診療科の医師が減っているわけではないということです。
例えば産科救急の担い手がレディースクリニックに行ったり、小児救急の担い手が開業したり、救急指定病院が看板を下ろしたり、です。
テレビに出ているタレント女医など医師免許保持者は別に減らないでしょうが、ハイリスク病院、特に公立病院の消滅が不可避になると思われます。
Posted by たけ先生 at 2006年11月23日 18:21
こんにちは。
一般の方にはなじみがないと思いますが、法律上、裁判官は、原告被告双方の主張と証拠によって判決をすることとされているので、自分の常識や価値観で判決をするわけではありません。
なので、例えば、医療関係者にとっては常識でも、病院側がそれを適切に主張・立証しないと、裁判官は考慮してくれません(法律上、裁判官が自分で調査・収集した情報を考慮することもできません)。

本件和解の詳細は知りませんが、御参考まで。

ちなみに、裁判員制度は刑事裁判に導入されます。
ですので、本件のような損害賠償訴訟は民事訴訟なので裁判員制度の対象外ですが、業務上過失致死罪などは刑事訴訟なので裁判員制度の対象となり得ます(すべての刑事裁判が裁判員制度の対象となるわけではありません)。
Posted by 空色 at 2006年11月24日 19:30
空色さん。
弁論主義ですね。
もちろん民事訴訟のルールはそうですし、裁判官も二言目にはそういうのですが、大切なのは「その判決を見た専門家がどう思い、どう行動するか。」ではないでしょうか??

たとえばこの判決を見た若手医師が救急病院での一人当直を嫌がったときに、指導医が弁論主義についてありがたい説教をして、果たして彼は救急病院で当直するでしょうか??

「無駄な検査」をしなくなるでしょうか??
「判決の一般への影響など司法の知ったことではない。それは行政の領分である。我々は形式的真実主義と弁論主義に基づき目の前の事案を適正処理するだけだ。」とは司法のお決まりのexcuseですが、すべてがそれで解決するわけではないのでしょうか。
Posted by たけ先生 at 2006年11月25日 00:10
弁論主義を「司法の言い訳」と考えていらっしゃるなら残念です。

役所側の常識や価値観に従った紛争解決は必ずしも公正でなかったという反省を踏まえて近代社会になって導入されたのが、役所から独立した裁判所が弁論主義によって紛争解決を行うという現在の制度なので‥
Posted by 空色 at 2006年11月25日 13:46
裁判員制度は刑事裁判のみなのですね。

ところで、弁論主義の問題で少々議論が混迷してきているように思えるのですが、本件のような場合、原告被告双方の主張と証拠と判決との間には、裁判官の「判断」というものが介在します。そして、その「判断」には裁判官の「常識や価値感」が当然影響せざるを得ないでしょう。
つまり、弁論主義と裁判官の常識や価値観に基づく判断は相反するものというより相補的なものだと思われます。本件に即して言えば、患者が最初に来院した時にMRI検査をしなかったことが「過失」に当たるのかどうか、これは裁判官の「判断」の問題であって、「原告被告双方の主張と証拠」から自明に導かれるものではないと思います。
Posted by dell at 2006年11月25日 20:38
記事の本題から外れているのは非常に心苦しいのですが、自分でつけたコメントに御指摘をいただいたので補足させていただきます。

まず、御理解いただきたいのは、紛争という性質上、相手方はこちらの認識とは正反対の事柄を証拠として提出してくるという現実です。
そして、裁判官としては、一方が証拠として提出した事実については、他方の証拠(反論)によってその当否を判断しなければなりません。
裁判官の「常識や価値観」によって、「あんたの提出した証拠は嘘だと思うよ」とは言えないのです。

極端な話、1か月前の天気が裁判で争われ、原告が「晴」、被告が「雨」と主張していたとします。このとき、証拠を提出したのが原告だけであれば、裁判官は、例え当日が「雨」だったことを知っていても、「晴」と認定することになります。弁論主義とはそういうものです。

本件で言えば、原告側は当然、10月30日の段階でMRI検査して脳腫瘍を発見していれば症状が改善した可能性があるという証拠を提出しているはずです(そうでなければ、裁判官はその可能性を考慮できませんから)。
したがって、病院側は、10月30日の段階で脳腫瘍を発見しても症状が改善する可能性がなかったという証拠(原告よりも信頼性の高い証拠)を提出する必要があるんです。

本件は和解なので詳細は不明ですが、通常であれば判決に判決理由が書いてあります。判決理由が合理的でないと批判するのは構いませんが、演繹過程を無視して判決だけを批判するのはどうかと思います。
医者に対して、わずかな生存確率に賭けて患者承諾の上で困難な手術に臨んだという前提をすべて無視して「手術したら患者が死んだ」という点だけを批判するようなものです。
Posted by 空色 at 2006年11月25日 23:50
空色さん、dellさん。
熱心な議論、コメントありがとうございます。
弁論主義と自由心証主義の関係という深いテーマですね。

本件の問題としては空色さんのおっしゃるとおり、「和解なので訴訟過程がわからない。」ため判決理由中の判断にあたる部分が検証できない点があります。

ただし、民事訴訟法上、和解は確定判決と同じ効力を有するのでやはり医療者にとっては重みがあります。この和解勧告は演繹の過程がどうであれ、医療を萎縮させる効果があります。実のところ現場の医師には和解勧告の内容がすべてであり、裁判官の思考過程など関係がないからです。

ただし、誤解を与えてしまったなら恐縮ですが司法を批判することが本記事の意図ではありません。

むしろ医療事故の紛争解決手法として民事訴訟が妥当かどうかを広く問いたいという思いがありました。

医療事故において当事者である患者が求めているのは「実体的真実の発見と再発防止、過失がひどい場合には損害賠償および医師の再教育」と思われます。

医療者が求めているのは「医学上適正な医療を提供していれば結果が悪かったとしても過失責任が問われないという保証」でしょう。

いずれにしても、当該医療行為の医学的な適正評価がなされることが不可欠です。

弁護士の訴訟遂行技術によって同じ事を行っても過失が有ったりなかったりされるのでは医療者としては危なっかしくてやってられない気分になります。
そうだとすると形式的真実主義と当事者主義を前提とする民事訴訟より専門家による職権調査主義と判断の画一性を担保する方式で医事紛争を解決したほうが良いのではないでしょうか??

空色さんは「医事紛争は医師と法律家からなる第3者専門機関が先行して職権調査し、医学上の妥当性を判断した上で和解勧告する義務があり、あらためて当事者が民事訴訟を起こした場合も裁判官は第3者専門機関の判断を尊重しなければならない。」旨のせいどを定めることはいかが思われるでしょうか??

専門家のご意見を伺えれば幸いです。


Posted by たけ先生 at 2006年11月26日 00:58

Posted by たけ先生 at 2006年11月26日 01:02
こんばんは。

御指摘のような第三者機関は、弁護士やマスコミは批判すると思いますが、非常によいアイディアだと思います。社会が専門化・複雑化した現代で、高度に専門的な知識を要する紛争を法律家だけで解決しろという方が無理な話だと思います。裁判官はただの法律の専門家に過ぎないのであって、それ以外の分野についての知識は一般人と同じなんですから。

あるいは、知的財産分野のように、医療訴訟だけを専門に扱う特別部を設立するという方法もあります。担当裁判官に知識が集積されるので、訴訟指揮がスムーズになり心理期間が短縮されるとというメリットがあります(裁判官に集積された知識をそのまま訴訟に使えないのは同じですが)。

ところで、実際のところ、可能性がなかったという証明は非常に難しいので、もともと原告側に有利(被告側に不利)なんです。今回の和解金は200万円と小額なので、実務家から見ると、勝ち目がないと見た原告側弁護士が説得して病院側が和解に応じたのではないかと思います(最終的に勝訴しても病院側が得るものはありませんし、訴訟を続ければ200万円以上の費用がかかるのは確実なので)。

ちなみに、実務家からみると、地裁判決なんて何の意味もないので、地裁レベルの和解なんて言わずもがなです。せめて高裁判決でないと。最高裁判決はかなりの重みがありますが、判決の解釈って意外と難しいんです・・
Posted by 空色 at 2006年11月26日 02:13
たけ先生、こんにちは。

@事実認定のレベル
 ・弁論主義
 証拠の提出を当事者の責任と解する弁論主義の下では、医療過誤訴訟では、一般に、原告側が不利になると考えられます。
 ・自由心証主義
 提出された証拠をどのように評価して事実認定をするかは裁判官の裁量に任せるという趣旨です。実際には、提出された証拠次第といえるでしょう。その意味で、ブレが大きいと予想されます。

A法律解釈のレベル
 ・因果関係の有無
 形式的には、因果関係の有無の判断は法律問題なのでしょうが、実際には、医学の問題です。本件では、因果関係の有無についての認定に問題があるように思います。
 ・過失(注意義務違反)の認定
 これも、形式的には、法律問題なのでしょうが、どこまで注意を払えばよいかという判断の幅は広く、一定しないと思います。

弁論主義と自由心証主義という民事訴訟の基礎原理から変えていくのか検討しなければならないでしょうが、問題の根本は、医療過誤訴訟は形式的には法律問題であるが、実質的には医療問題であるという形式と実質の差の大きさになるように思います。
  
Posted by PALCOM at 2006年11月26日 10:18
空色さん、PALCOMさん、コメントありがとうございます。
その辺の感覚も法曹と医師で違いますよね。

司法の感覚だと300万の和解とか2割認容は実質病院勝訴ですが、医師の感覚だと訴訟に巻き込まれただけでもごめんなのに、下らない言いがかりで過失が一部でも認定されるのではそのような環境では二度と働きたくなくなります。

また原告側ももともと金銭よりも医師の過失を主張して「このような医師は許せません!!」と批判することができれば満足ですので、裁判官の感覚とはずれがあると思います。

結局のところ、「問題の根本は、医療過誤訴訟は形式的には法律問題であるが、実質的には医療問題であるという形式と実質の差の大きさ」なんでしょうね。
Posted by たけ先生 at 2006年11月26日 14:08
医療訴訟の場合の一番の論点は、どちらの側に挙証責任を負わせるかだと思います。結局問題になるのは「こうしていれば〜」という仮定の話ですから、挙証責任をより多く負わされる側が不利になります。今回のケースでも、「10月30日の段階でMRI検査して脳腫瘍を発見していれば症状が改善した」と確実に証明することはできないでしょうし、その逆も同じでしょう。その場合、司法はどのような判断を下すのか?
20年くらい前は、挙証責任を主に患者側に負わせ、患者側が確度の高い証明ができなければ敗訴となっていた記憶があります。しかし、最近はこの挙証責任を主に病院側に負わせ、今回のケースのように、別の方法を採ればより良い結果があった可能性を確実に否定できなければ、患者側に有利な判断が下されるようになったように思います。しかし、考えてみれば「より良い結果があった可能性を確実に否定できなければ」(たとえその可能性がどんなに低くても)患者側勝訴となるのであれば、これはほぼすべての病死者は訴えを起こせば病院からいくらかのおカネをせしめることができる事になってしまいます(行なわなかった医療行為を一つでも挙げて「可能性」を訴えれば良いことになります)。これもまた大いなる行き過ぎのように思われるのです。しかし、現実はそのような方向に進んでいるように思われます。
第三者機関の設立など医療訴訟の改革が急務でしょうね。
Posted by dell at 2006年11月26日 14:58
dellさん、おっしゃるとおりで中間責任の法理とかいい加減な法理をでっち上げて、公害や医療訴訟の場合は挙証責任を転換しています。

医療訴訟に関しては期待権侵害とかこれまたいい加減極まりない法理で何とか原告を勝訴させようとしています。

弁論主義そのものよりも、こうした司法のあり方がご都合主義的に見えて、医療者の不信を買っているのかもしれませんね。
Posted by たけ先生 at 2006年11月26日 17:10
私も、弁論主義そのものの問題ではないと思います。

弁論主義そのものの問題であるとするならば、当事者の訴訟遂行能力が低いことが原因であるはずですので、職権による証拠調べを認めれば足りることになります。しかし、「1週間早く来院していれば予後が異なっていた。」という因果関係の認定については、職権による証拠調べを認めても適切な結論が出るとは思われません。

やはり、自由心証主義や訴訟ルールの不明確さが問題なのではないでしょうか?そもそも、自由心証主義というのは、裁判官の能力を信頼できることが基礎になっているはずですが、医学的判断に関しては、その基礎が失われているところが問題の根本だと思います。
Posted by PALCOM at 2006年11月26日 19:24
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